ペットロス【5】自責の念

ラブペ

2012年02月03日 19:26



ペットを亡くした後で一番辛いのが「自責の念」かもしれません。

多くの場合は責任感が強すぎて、過剰な後悔や自責の念を抱え込んでしまっています。

例えば、手術をしなければ助からない病気だったので手術をしたが、結局死んでしまった。

この場合結果的には手術をして亡くなってしまったので、「手術なんてしなければよかった、最後に痛い思いさせなければよかった」という後悔が生まれます。

しかし、もし手術しないで亡くなってしまっていたら、「手術していたらもう少し長く生きられたのかもしれない」という思いも必ず残ってしまい、どちらを選んでも後悔や自責の念は残ります。

こういう場合は、そとのき最善と思える方法をとったのだからと、時間の経過と共に少しずつ自分を納得させることはできます。

それに対して本当に辛いのは、直接その死に関わってしまった場合です。

自分の運転する車で誤って轢いてしまった、抱っこしていたら腕の中から飛び出して打ちどころが悪くて亡くなってしまった、お散歩の途中で車に撥ねられてしまった、小さい動物の場合誤って踏んでしまった、など……

このようなお話を聞いたときには、本当に掛ける言葉もないくらいです。

どんなに「あなたの責任ではないですよ」と言っても納得できないでしょう。

とにかく、「自分を責めないでください」としか言えません。


ここからは本当に私個人の考えで、賛否両論あるでしょうが書きたいと思います。

私は「心霊」とか恐怖系の霊はあまり信じていません。

というか、そういうのはあるのかもしれないけれど、テレビでやってるようなのは徒に恐怖心を煽るためのエンターテイメントだと思って観ています。

でも以前『ペットロス雑記:松田直樹選手追悼試合』で書いたように、愛を持って亡くなった動物が(人間も)、亡くなった後しばらく愛する人の側にいたり、お盆に帰ってきたりするのはあるかもしれないと思っています。

それから占いなんかもほとんど信じませんが、バイオリズムとか運とかそういうのはあるのかなって気もします。

あとは、神様、これもいると思います。

特定の宗教は持っていないので具体的にどんな神様とは言えませんが、日本人が昔から持ってる宗教観の八百万の神という考え方は好きです。

どんなものにも神様が宿る。

そして自分では「天の神様」的ななんでも見ている神様もいるような気がします。

毎年神社に初詣に行ったときに「去年は一年間ありがとうございました、今年もよろしくお願いします」って報告をするのはその神様にです。

これもやっぱり平均的な日本人の宗教観なのではないでしょうか。


なぜこんなことを書いたかと言うと、今から書く内容、読み方によってはそういう心霊とかに傾倒してるとか、何かオカルトにハマっていると勘違いされちゃうかなって思ったからです。

そういう怪しいものを信じたりハマっているわけではありませんので悪しからず


前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

ラブペで仕事をするようになって、少しだけ不思議なことが起こります。

葬儀に関してですが、同じようなことが続くんです。

これはよく飛行機事故なんかでも言われますよね。
一つ事故があると必ずまた続く、と。
でもそれは、大きな事故が起こるとみんながそれに注目するから普段報道されないような事故まで報道されて、いかにも続いているように見えるだけなんだと思っていましたし、実際そうなのかもしれません。

で、ラブペで続くこともほんの些細なことで、気のせいと言われれば気のせいなのかもという程度です。

例をあげると、同じ種類の犬が何匹も続く、同じ町内からの葬儀が続く、同じ名前の子が続く、などなど。

名前や種類なんかは流行りもあって、例えばミニチュアダックスなんかはずっと人気のある犬種なので比較的ご葬儀する回数が多くなります。
それから、名前も毎年ペットの名前ランキングが発表されたりして、「モモちゃん」「チョコちゃん」など続く可能性の高い名前があるのは承知の上です。

不思議だなぁと思うのは、そういう確率の高い種類や名前ではなく、ここ一年くらい来たことのない種類の子が何件も続いたりすることなんです。

最初は偶然だと思っていましたが、ラプペ開店から7年経った今でも結構な頻度でこれらのことが起こっています。

そのうちになんとなく、今まで信じていなかった「運命」というのを少し感じるようになってきました。

それまでは「運命」という言葉、むしろ嫌いでした。

運命で決まってしまうなら自分の人生ってなんなんだろう、何もしなくても同じじゃん、と。

100歩譲って何か難しい病気になってしまったときに「運命」と言われるのはまだわかります。
生まれつきの遺伝子やらなにやらで、そういう病気になりやすかったのかもしれないから、そういう運命なのだと。

でも事故や災害で亡くなってしまうことまで運命だと言われるとそれは何か違うような気がしていました。
病気のような原因があるものではなくて、突発的なものだからです。

ところが、ある時T町の同じ犬種の犬ばかりが何件も続きました。
原因は様々で、病気や寿命だけでなく若くして事故で亡くなった子もいました。
それまでも続くことは不思議だなぁと思いつつも特に深く考えていなかったのですが、その時は地域も種類も同じというのが何件も続いたので、それをきっかけに、もしかしたら今まで気づかなかったけど、これが「運命」なんだろうか、と考えるようになりました。

一つ一つの事象を見ていたらそれぞれ個人的なことなので気づきませんが、大きなくくりの中では常にこのようなことが起こっているのかもしれない、と。
たまたまうちは葬儀に関わる仕事をしているので、「死」に関してその流れを少し感じることができたのかもしれない、と。

そんなことを考えるようになった後しばらくして、私の飼っていたネコの具合が悪くなりました。
名前は「ナナ」です。
最初に病院に連れていったときはまさか死ぬような病気だなんて思っていませんでした。
それまで病気をしても、病院へ行って注射してもらって何日か様子を見ればいつもすぐ元気になっていました。
その時も、もう歳だけどすぐよくなると簡単に考えていました。
ところが、その時は今までのように注射をしても良くなりませんでした。
ご飯も食べなくなって、どんどん痩せ衰えて行き、その状態が続いて初めて「もしかしてこのまま死んじゃうの!?」と気づき私は混乱しました。

そんな時、ラブペにナナちゃんという名前の子のご葬儀が入りました。

その瞬間に、あぁこれは次はうちのナナさんが逝っちゃうのかもしれない、と悟ったというか気づいたというか、この後に来る死を受け入れる準備を心が始めたようでした。
そしてその後すぐ、本当にナナは死んでしまいました。

たったこれだけの例では多分読んでる方誰も納得できない、考えすぎでしょ、って思われるのは覚悟の上です。
でも実際ずっと働いてるとシンクロ率の高さに驚くこと多いんですよね。
他にも色々あるんですが、結局どれも似た様な話でしかないので割愛します。


それで、何が言いたいのかと言うと、どんな事故で亡くなってしまったにせよ、何が原因で亡くなってしまったにせよ、それは大きな運命の一部だったのかもしれないと私は思うんです。

起こってしまったことは本当に不幸で辛くて自分を責めてしまうのは痛いほどわかります。

注意すれば防げたかもしれないのに防げなかった、でもそれも含めて運命だったのかもしれない。

だからあなたは悪くない。こうなることは決まっていたのだから。

正解かどうかはわかりません。私が自分でそう感じているだけのことです。

でも今自分を責めて責めて苦しみに囚われているのなら、そういう考え方もあるんだっていうことを頭の片隅にでも置いてみてください。


先日ある飼い主さんがこうおっしゃっていました。

「この気持ちはいつか天国へ行ってあの子に直接謝るまで消えない」と。

実際そうだと思います。

運命だろうがなんだろうが、自分の責任で、という気持ちは一生残ってしまうかもしれません。

でも天国でその子に会ったときには謝るだけではなくて、どんなに大事に思っていたか、どんなに大好きだったか、一緒にいられて楽しかったか、そういういい想い出もいっぱい語ってあげてください。
その時のために、もう少し時間が経ってからでいいので自分が生きている間も最後の辛い思い出ばかりではなく、楽しかったときのこともいっぱい思い出してあげてください。
一緒にいる間、楽しかった想い出の方が何十倍も何百倍も多かったのですから。
そしてそれだけで、天国にいるあの子には伝わると思います。




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