2012年02月19日
ペットロス【7】ペットロスの予防
ペットを亡くしたとき、人は予想以上の衝撃に襲われます。
元気だったのに突然亡くなってしまった場合はもちろん、長く病気を患っていたり、高齢で近く死が訪れるのを覚悟していた場合でもです。
いつかかならず死ぬことはわかっている、そうは言ってもやはり経験してみるまで本当のショックは想像できません。
亡くなってしまった後、誰もが程度の差はあれペットロス状態に陥ります。
タイトルに「ペットロスの予防」と書きましたが、ペットロスは防げるものではありません。
愛するものを亡くしたのだから、悲しみに暮れるのは当たり前です。
悲しむことも必要なことなのです。
中には悲しくて辛くて苦しくて、もうこの悲しみから逃れられることなんて一生ないと絶望してしまう人もいるでしょう。
その時に必要なのが、ペットロスについて「知る」ことです。
ペットロスについて何も知らない場合、苦しみ・悲しみがどこまで続くのかわからず、先の見えない暗闇に囚われてしまいます。
周囲の人から「泣いてたらあの子が悲しむよ」と声を掛けられると、泣くことに罪悪感を覚えてしまいます。
余りの辛さに早くあの子のことは忘れようと努力してしまうかもしれません。
ペットロスについて知ることによって、それらが間違っていることがわかると思います。
そして今自分がどのような状態なのか理解することができます。
悲しみの何段階目にいるのかがわかれば、その先に希望が見えてきます。
このような悲しみ、苦しみの中にいるのは自分だけじゃないということがわかれば、孤独感が少し薄れるかもしれません。
立ち直れる日のために、何かできることはないかと少しだけ前向きになれるかもしれません。
そして、ペットロスの「予防」というのは、ペットが元気でいるうちに、ペットロスについて「知っておく」ことです。
ペットが亡くなったとき、これから自分の心が辿るであろう状態を予測することができる。
「我慢しないで泣いていい、思いっきり悲しんでいい」とわかっていれば、周りから何を言われようと心が揺らぐことなくその子のために悲しむことができる。
悲しみの次に、あの子のために「何かをすべき」であることがわかっている。自分に合ったグリーフワークを見つける余裕が生まれる。
悲しみにいつか終わりが来ることを知っておくことができる。
このように、予め知っているか全く知らないかでは立ち直れるまでの道筋が違ってきます。
そして知らないまま、間違った方法(無理矢理忘れるなど)を取ってしまった場合、一見立ち直ったように見えても、「ペットロス【6】」で書いたように解消されない悲しみとして心に留まり続けます。
今はペットロスについての本もたくさん出版されていますので、色々な本を読んで知識を蓄えておいて下さい。
そして最後に一つ、葬儀の仕事をしている者として、ペットが元気でいるうちに亡くなった場合の葬儀や火葬の方法、それからお骨をどうするかなど家族みんなで話し合っておいて欲しいと思います。
家族みんなペットをかわいがる気持ちは同じなので、最後の見送り方やお骨についても同じ考えであると思いがちですが、意外と意見の別れるところなのです。
例えば亡骸は、生前十分かわいがってやれることは全てやったのだから市の火葬場で十分と思う人もいれば、家族と同じなのだから最期だけ動物扱いはしたくない、人間と同じようにお骨を自分の手で拾ってあげたい、と思う人もいます。
どちらも正解も不正解もない、それぞれの皆さんの考え方の違いですので、とにかくよく話し合って決めていただきたいと思います。
元気なうちに話し合って欲しいというのは、病気や高齢になってからだとお葬式の話題は縁起が悪くて出すのがイヤになると思うんです。
だからと言って亡くなってからだと、もう相談している時間もなく、悲しみに打ちひしがれて反対意見を言うこともできないまま後悔の残る見送りになってしまっては手遅れです。
最後のお見送りが納得できるものか、後悔の残るものかで、その後のペットロスの状態にも大きく影響があるものですので、普段から考えておいて欲しいと思います。
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2012年02月12日
ペットロス【6】過去の喪失体験
これはペットロス【3】で書いた立ち直りを妨げるものの一種です。
ペットを亡くし、辛い時期が続く原因に過去の喪失体験が解消されていない場合があります。
例えば、以前に飼っていた子を亡くしたときに辛さのあまり目を背けて、しっかりとお別れができていなかったり、また自分では意外とショックを受けていない、平気だと思っていたのに、実は自覚していなかったけれど心は衝撃を受けていたり。
そのような解消されていない悲しみが、次の子を失ったときにフラッシュバックしたり、またわけもわからないほどの悲しみに胸が締めつけられる思いをすることがあります。
これはペットを失ったときに限らず、身内や親しい人を亡くしていた場合でも同じです。
自分では今亡くしたペットのことで辛いのだと思っていても、いくらその子のことを話したり、その子のために色んなグリーフワークをしたとしても完全には解決しません。
もっと奥底にある悲しみの原因を解消しないことには、本当の意味で立ち直りにはならず、またその次の死別を経験したときに同じ思いをしてしまいます。
大事なことは、一つ一つの喪失体験にその都度きちんと向き合って解消していくことです。
今もし心当たりのある過去の喪失体験があるのでしたら、今のうちに解消してしまいましょう。
方法は、できれば人に話して聞いてもらうことが一番だと思います。
家族や友人と、過去に亡くした身近な人や動物の話をできればそれが一番いいかと思いますが、なかなかそういう話ができる関係の人ばかりでもないと思いますので、そういう場合はペットロス相談などを利用されるのがいいでしょう。
知らない人への方が話しやすいこともありますから。
電話相談や対面相談、ネットで検索するとやっているところが出てくると思います。
ラブペでも対面相談のみやっています。
なぜ対面相談のみかというと、電話回線が一つしか引いてないので、ペットロス相談で長時間回線がふさがってしまうと、ご葬儀の為に掛けてくださった方がいた場合対応できないからなんですね。
遠方の方すみません(´・ω・`)
私の場合、ペットロスを学んでいるときに授業の中で、隣の席の人と自分のペットロス体験について話すというのがありました。
その隣の席の人には、以前に自分のペットロス体験の話はしてあったので、なんとなく別の実家にいたネコのことを話し始めました。
すると、本当に自分では特にペットロスに陥ったわけでもない、ただ「実家のネコの話」として話し始めただけだったのに、話しているうちに色んなことを思い出して、ポロポロ涙が出てしゃべれなくなってしまいました。
その時初めて、私はあの子が死んでしまったことがとても悲しかったんだ、ということを自覚し、そこで話せたことでとても気持ちがすっきりしたのがわかりました。
その子が死んでしまってもう何年も経っていたのに、です。
このように、自覚していないことを話す機会はなかなかないとは思いますが、自分に当てはまる経験はないか、ちょっと思い出してみてください。
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2012年02月04日
ペットロス記事 目次
ペットロスの記事が増えてきたので目次を作りました。
ペットロス【1】ペットロスとは
ペットロス【2】心の動き
ペットロス【3】立ち直りを妨げるもの
ペットロス【4】グリーフワーク
ペットロス【5】自責の念
ペットロス【6】過去の喪失体験
ペットロス【7】ペットロスの予防
ペットロス雑記:ドラマ『南極物語』
ペットロス雑記:松田直樹選手追悼試合
ペットロス雑記:映画『レ・ミゼラブル』
しし丸君のアルバム
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ペットロス【1】ペットロスとは
ペットロス【2】心の動き
ペットロス【3】立ち直りを妨げるもの
ペットロス【4】グリーフワーク
ペットロス【5】自責の念
ペットロス【6】過去の喪失体験
ペットロス【7】ペットロスの予防
ペットロス雑記:ドラマ『南極物語』
ペットロス雑記:松田直樹選手追悼試合
ペットロス雑記:映画『レ・ミゼラブル』
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2012年02月03日
ペットロス【5】自責の念
ペットを亡くした後で一番辛いのが「自責の念」かもしれません。
多くの場合は責任感が強すぎて、過剰な後悔や自責の念を抱え込んでしまっています。
例えば、手術をしなければ助からない病気だったので手術をしたが、結局死んでしまった。
この場合結果的には手術をして亡くなってしまったので、「手術なんてしなければよかった、最後に痛い思いさせなければよかった」という後悔が生まれます。
しかし、もし手術しないで亡くなってしまっていたら、「手術していたらもう少し長く生きられたのかもしれない」という思いも必ず残ってしまい、どちらを選んでも後悔や自責の念は残ります。
こういう場合は、そとのき最善と思える方法をとったのだからと、時間の経過と共に少しずつ自分を納得させることはできます。
それに対して本当に辛いのは、直接その死に関わってしまった場合です。
自分の運転する車で誤って轢いてしまった、抱っこしていたら腕の中から飛び出して打ちどころが悪くて亡くなってしまった、お散歩の途中で車に撥ねられてしまった、小さい動物の場合誤って踏んでしまった、など……
このようなお話を聞いたときには、本当に掛ける言葉もないくらいです。
どんなに「あなたの責任ではないですよ」と言っても納得できないでしょう。
とにかく、「自分を責めないでください」としか言えません。
ここからは本当に私個人の考えで、賛否両論あるでしょうが書きたいと思います。
私は「心霊」とか恐怖系の霊はあまり信じていません。
というか、そういうのはあるのかもしれないけれど、テレビでやってるようなのは徒に恐怖心を煽るためのエンターテイメントだと思って観ています。
でも以前『ペットロス雑記:松田直樹選手追悼試合』で書いたように、愛を持って亡くなった動物が(人間も)、亡くなった後しばらく愛する人の側にいたり、お盆に帰ってきたりするのはあるかもしれないと思っています。
それから占いなんかもほとんど信じませんが、バイオリズムとか運とかそういうのはあるのかなって気もします。
あとは、神様、これもいると思います。
特定の宗教は持っていないので具体的にどんな神様とは言えませんが、日本人が昔から持ってる宗教観の八百万の神という考え方は好きです。
どんなものにも神様が宿る。
そして自分では「天の神様」的ななんでも見ている神様もいるような気がします。
毎年神社に初詣に行ったときに「去年は一年間ありがとうございました、今年もよろしくお願いします」って報告をするのはその神様にです。
これもやっぱり平均的な日本人の宗教観なのではないでしょうか。
なぜこんなことを書いたかと言うと、今から書く内容、読み方によってはそういう心霊とかに傾倒してるとか、何かオカルトにハマっていると勘違いされちゃうかなって思ったからです。
そういう怪しいものを信じたりハマっているわけではありませんので悪しからず
前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
ラブペで仕事をするようになって、少しだけ不思議なことが起こります。
葬儀に関してですが、同じようなことが続くんです。
これはよく飛行機事故なんかでも言われますよね。
一つ事故があると必ずまた続く、と。
でもそれは、大きな事故が起こるとみんながそれに注目するから普段報道されないような事故まで報道されて、いかにも続いているように見えるだけなんだと思っていましたし、実際そうなのかもしれません。
で、ラブペで続くこともほんの些細なことで、気のせいと言われれば気のせいなのかもという程度です。
例をあげると、同じ種類の犬が何匹も続く、同じ町内からの葬儀が続く、同じ名前の子が続く、などなど。
名前や種類なんかは流行りもあって、例えばミニチュアダックスなんかはずっと人気のある犬種なので比較的ご葬儀する回数が多くなります。
それから、名前も毎年ペットの名前ランキングが発表されたりして、「モモちゃん」「チョコちゃん」など続く可能性の高い名前があるのは承知の上です。
不思議だなぁと思うのは、そういう確率の高い種類や名前ではなく、ここ一年くらい来たことのない種類の子が何件も続いたりすることなんです。
最初は偶然だと思っていましたが、ラプペ開店から7年経った今でも結構な頻度でこれらのことが起こっています。
そのうちになんとなく、今まで信じていなかった「運命」というのを少し感じるようになってきました。
それまでは「運命」という言葉、むしろ嫌いでした。
運命で決まってしまうなら自分の人生ってなんなんだろう、何もしなくても同じじゃん、と。
100歩譲って何か難しい病気になってしまったときに「運命」と言われるのはまだわかります。
生まれつきの遺伝子やらなにやらで、そういう病気になりやすかったのかもしれないから、そういう運命なのだと。
でも事故や災害で亡くなってしまうことまで運命だと言われるとそれは何か違うような気がしていました。
病気のような原因があるものではなくて、突発的なものだからです。
ところが、ある時T町の同じ犬種の犬ばかりが何件も続きました。
原因は様々で、病気や寿命だけでなく若くして事故で亡くなった子もいました。
それまでも続くことは不思議だなぁと思いつつも特に深く考えていなかったのですが、その時は地域も種類も同じというのが何件も続いたので、それをきっかけに、もしかしたら今まで気づかなかったけど、これが「運命」なんだろうか、と考えるようになりました。
一つ一つの事象を見ていたらそれぞれ個人的なことなので気づきませんが、大きなくくりの中では常にこのようなことが起こっているのかもしれない、と。
たまたまうちは葬儀に関わる仕事をしているので、「死」に関してその流れを少し感じることができたのかもしれない、と。
そんなことを考えるようになった後しばらくして、私の飼っていたネコの具合が悪くなりました。
名前は「ナナ」です。
最初に病院に連れていったときはまさか死ぬような病気だなんて思っていませんでした。
それまで病気をしても、病院へ行って注射してもらって何日か様子を見ればいつもすぐ元気になっていました。
その時も、もう歳だけどすぐよくなると簡単に考えていました。
ところが、その時は今までのように注射をしても良くなりませんでした。
ご飯も食べなくなって、どんどん痩せ衰えて行き、その状態が続いて初めて「もしかしてこのまま死んじゃうの!?」と気づき私は混乱しました。
そんな時、ラブペにナナちゃんという名前の子のご葬儀が入りました。
その瞬間に、あぁこれは次はうちのナナさんが逝っちゃうのかもしれない、と悟ったというか気づいたというか、この後に来る死を受け入れる準備を心が始めたようでした。
そしてその後すぐ、本当にナナは死んでしまいました。
たったこれだけの例では多分読んでる方誰も納得できない、考えすぎでしょ、って思われるのは覚悟の上です。
でも実際ずっと働いてるとシンクロ率の高さに驚くこと多いんですよね。
他にも色々あるんですが、結局どれも似た様な話でしかないので割愛します。
それで、何が言いたいのかと言うと、どんな事故で亡くなってしまったにせよ、何が原因で亡くなってしまったにせよ、それは大きな運命の一部だったのかもしれないと私は思うんです。
起こってしまったことは本当に不幸で辛くて自分を責めてしまうのは痛いほどわかります。
注意すれば防げたかもしれないのに防げなかった、でもそれも含めて運命だったのかもしれない。
だからあなたは悪くない。こうなることは決まっていたのだから。
正解かどうかはわかりません。私が自分でそう感じているだけのことです。
でも今自分を責めて責めて苦しみに囚われているのなら、そういう考え方もあるんだっていうことを頭の片隅にでも置いてみてください。
先日ある飼い主さんがこうおっしゃっていました。
「この気持ちはいつか天国へ行ってあの子に直接謝るまで消えない」と。
実際そうだと思います。
運命だろうがなんだろうが、自分の責任で、という気持ちは一生残ってしまうかもしれません。
でも天国でその子に会ったときには謝るだけではなくて、どんなに大事に思っていたか、どんなに大好きだったか、一緒にいられて楽しかったか、そういういい想い出もいっぱい語ってあげてください。
その時のために、もう少し時間が経ってからでいいので自分が生きている間も最後の辛い思い出ばかりではなく、楽しかったときのこともいっぱい思い出してあげてください。
一緒にいる間、楽しかった想い出の方が何十倍も何百倍も多かったのですから。
そしてそれだけで、天国にいるあの子には伝わると思います。
これ↓押していただけるとありがたいです